YUMINA FESTIVAL EVENT SCHEDULE/JAN 2009
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天空のユミナ


天空のユミナ










…………

……学園に、いつもと変わらぬ朝が来る。
私の部屋も、朝陽の光で照らし出される。
私はその色を、無感情なままの瞳で受け止めていた。

洗面所のドアを閉め、部屋の中を軽く見回す。
ここに初めて入った時と同じく、部屋の広さがほとんどそのままの空間。
つまりは、極端に物が少ない室内。空虚に感じるとでも評すればいいか。
同年代の女子の部屋と比べても、この空間には華がないのだろう。
他の誰かが見れば、生活感の欠片もないと言われそうだ。

だが今の私にとって、そんな評価は無意味。
無為に時間を過ごすことで平穏を実感するような情緒は、今の私にはいらない。
限られた時間を惜しみ、できる限りの喜びを詰め込もうとするのが、普通の生き方であるならば。
私はただ、必要な部品だけを今という時間に組み込み、望む未来へ続く足場にするだけなのだから。
自分で定めた道をなぞるように、ただ日々を繰り返すだけ。
これから始まる一日も、その中の一歩に過ぎない。

クローゼットから制服を取り出し、手早く着替えを済ませる。
他の同級生とは違う、黒を基調とした制服。
そして、私の体には全く合っていない。肩幅も袖丈も、私の小柄な体を包むには大きすぎる。
にもかかわらず、機能性とは完全に矛盾したこの服装を、私は毎日身につけている。
安らぎを、感じている。

そう……安らぎ。
何かの結果に繋がるわけでもない、無意味な心の惑い。
それを噛み締めるように、私は少しだけ着替えの手を止め、眠るように目を閉じた。
何も見えず、何も聞こえず、感じるのは肌に触れる温かな感触だけ。
もしかしたらこれだけが、今の私にとって唯一の、『必要ないもの』なのかもしれない……

着替えを終えれば、あとはいつもの私に戻るだけだ。
髪を束ね、リボンの位置を直し、そして私は姿見の前に真っ直ぐ立つ。
そこに映る、『少女』の姿。
身の丈に不釣り合いな服を着た、私の姿。

「……変わらないな、本当に」

その呟きは、誰に届くともなく消える。

…………

関東の丘陵地帯にその広大な敷地を構える、神撫学園。
そこでの生活は、平穏を形にしたようなものだった。
学園と楽園はたった一文字の違い、そんなふざけた物言いが、この神撫学園では確かだと思える。
あと数年で社会に出るような若者達が、それまでに許された自由を、さほど自覚もせずに享受している場所。
学園の名にふさわしい空気が、この場所には満ちていた。
私が望もうと望むまいと、この場に在る。
私が拒もうと拒むないと、私を取り巻いている。
例えば、この教室で絶えることなく響く、クラスメート達の談笑の声とか……

「黒河さん、おはよう」
「……おはよう」

そんな思考を体現するように、1人の同級生が私に挨拶してきた。
私は調子を変えることもなく、いつも通りに平坦な声を返す。

「今日の1限って、現国だよね。確か宿題あったけど、あれちゃんとできた?」
「一通りは問題なく」
「そっか。結構難しかったけど、さすが黒河さんだね」

自然に話しつつ、相手を観察する。
何かに際立っているわけでもない、ごく普通のクラスメートの一人だ。
学業の成績も、交友関係も、取り立てて目立つものはない。
特別なことがあるとすれば、私にわざわざ話しかけてくることくらいだろうか。
積極的に同級生とかかわりを持つでもない、この私に。

「昨日のテレビにモジャコンが出てて、すっごいおもしろかったんだよー」
「……前も言ってた、芸人か」
「でもってね、来週は小麦大麦が出るんだってー」
「小麦大麦?」
「わたしイチオシの新鋭だよっ。よかったら黒河さんも、見てみてね」
「まぁ……覚えておこう」

会話を楽しむ必要もない。学園生活を滞りなく進められれば十分だ。
彼女の方も、熱に差のある私の態度に腹を立てる様子はない。
どうせ隔たりがあると、互いに理解しているのだ。

「じゃあ、あやちゃんが呼んでるから私はこれで。またあとでねー」

そう言って彼女は、私の前から去っていく。
彼女が向かった先には、もう1人の同級生がいた。
私と話していた少女と一言二言交わし、そしてこちらをちらりと見やる。
その視線に含まれていたのは、はっきりとした蔑みの感情だった。
……当然、私にとっては慣れたこと。

クラスの面々が毎年変わるとはいえ、3年次ともなれば同級生同士の交流も固まってくる。
そんな中で私は、特に親しい友人を作ろうとはしなかった。
何故なら、必要のないものだから。今の状況も、私にとっては好都合なくらいだ。
友人の輪に加えられるわけでも、害意をぶつけられるわけでもない。
私が自分の『目的』を果たすまでの間、この学園にいられれば、それで十分。
それ以外の感情など、今では思い起こすこともほとんどない。

…………

授業が終われば、もう教室に留まる必要もない。
クラスメート達が再び談笑の花を咲かせ始める中、私は荷物をまとめて足早に教室を去る。
寮に帰るわけではない。あそこは、時間を過ごすだけの場所でしかない。
向かうのは、私が生きる場所。
今の私を動かす、ただ一つの理由が残された場所。

…………

神撫学園の、旧校舎。
学園が改築され、新校舎が建てられた際に、一部だけが残された昔の校舎。
教室から学園中に人が散っていく放課後の時間でも、訪れる人間は少ない。
静まり返った廊下に、私の足音がよく響く。
他に聞こえるのは、遠く新校舎から微かに届く、賑やかな喧噪くらいのもの。
教室のように、周囲に活気が満ちているわけでもない。
断絶ではなく、隔絶。それ故に、より強く孤独を感じる。
でも、そんなことは関係ない。距離を置くことを選んだのは、誰でもない私自身だ。
この安息に満ちた学園の中で、私はこの場所に立つことを選んだのだ。

鍵を開いて部屋に入り、荷物を無造作に机に置く。
部室等として使われている旧校舎の一角。プレートに書かれた名は、『論説部部室』。
神撫学園論説部。それが、私の領域だ。
部活の名はあっても、部屋に出入りする人間は私以外に誰もいない。
要するに、部員数は1名。もちろん、そんな団体が部活として認められる道理はない。
だがこの論説部は、部活としての活動を、学園長から認められている。
何故なら私は、特別だから。

コンピュータを起動し、1人で作業を始める。
やるべきことは過去の資料の整理と、現在この学園で進んでいる状況の把握。
他の在学生達が到底興味を持たないだろう情報、文章の羅列に、私は意識を集中させる。

そもそも論説部の存在自体、私の他に知っている学生がこの学園にいるのかどうか。
ここにいる私ことを、他の誰かが見ているのかどうか。
……おそらくは、誰もいないだろう。
この部屋が何の目的で用意され、ここで私が何をしているのかなど、他の皆にとっては意識の範囲外でしかない。
彼らが身を置く穏やかな日常に、私が戻る意味などないのだから。
教室での会話も、同じこと。日常と非日常の境界を挟み、互いの幻を瞳に映しながら、仮初の触れ合いを続けているだけ。
そう、私は彼らとは違うから。
私はもう、この学園でたった独りだから。

孤独を恐れることはない。賑やかな教室で心を揺らすこともない。
私は私の意志でこの場所に来て、静かに闇に潜むことを選んだのだから。
だから今は、全てが思い通り。
物事は、私自身が望むように動けばそれでいい。
この部屋に他の誰かを招く、その時が今はまだ来ていないというだけ。
目指す場所に進む一筋の光となり、不要な全てを切り捨てながら、私はここまで来た。
これから神撫学園は、少しずつ動き出すだろう。私が予測する通りに、大きな戦いがここで始まるのだ。
そのうねりの前に、完璧とも言える地盤を築き上げた。
全て、上手くいっている。不満を抱く余地もない……

「…………」

なら、どうして……
ここにいる私は、全てを捨てきれていないのだろう?

何の感情もなく、風景の中に埋没するような存在になれればいいと思う。
だが、最も理想的なその状況に、私はまだ辿り着けていない。
理由は分かっている。私はこの学園の中で、ごく普通に日々を過ごす皆の中で、異質に映ってしまうからだ。
黒い衣装。白をベースにした今の制服とは対照的な、過去の神撫学園の制服。
別に、規則に違反しているわけではない。
いわゆる制服は、神撫学園においては標準服として定められているに過ぎず、基本的に学園内での服装は自由。
常識を逸脱しない範囲であれば、自身で用意した私服の着用も認められている。
だから私は、これを選んだ。
ただ『無意味』に、この服を着続けている。
目的を遂げる為だけに生きる私が、たった一つだけ引きずっている、論理では動かせない感情の欠片。
疑問の答えを探すように、制服の胸元をぎゅっと握りしめる。
指先に返るのは、確かな感触。
今の制服と比べれば快適さに欠ける、厚手の生地。戻れない過去を想起させるもの。
そして……かつて私が、心の拠り所としていたもの、ほのかな温もり……

『それじゃ、これから雲母と私は親友ね。よろしくっ!』

心の底から、遠い昔に聞いた声が蘇ってきた
それは、私が『向こう側』で手にしたささやかな幸せ。
でも、もうあの場所は、境界の向こう側。私が失い、そして私が捨てたもの
同級生の視線よりも強く、日常を形作る喧噪よりも激しく、私の心を揺さぶる毒。

……本当に、必要ないのに。
どうして私は、未だにこんなもので自分を包み込んでいるのか。

「っ……」

ふと意識を、現実に戻す。
思った以上に長い時間、思索に耽っていたのか。目の前の画面はいつの間にか、外国の風景画像に切り替わっていた。
そして不意に頬に当たる、冷たい感触。拭った指先が、さらりと濡れた。

「まったく……何をしているんだ、私は……」

時計を確かめ、作業を再開する。
一瞬陥った迷いを振り切り、その欠片すら残さず一心に……

「……振り返らない。今はただ、前に進むだけだ……」

…………

続く 


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