クリックするとバックナンバーをご覧になれます
みなさんちぃっす、睦越八枝美です。
今は2月の中旬、神撫学園のみんなが浮足立つ時期。
年に数回ある、ヒトの繁殖期のひとつ……じゃなくて、ロマンティックな季節です。
当然あっちの店でも、元気にプロモーションを繰り広げているわけで。
今日はそんな世の流れに翻弄される人々の姿を、ダイジェストでお送りしようかと思っております。
……ちなみに本編とは少し軸が違うかもしれない、いわばハーレム世界なので、注意してください。


「うーん……朱島さんの好みに合う味って、どんな感じなんでしょうか」

時間は昼休み、場所は図書室。
資料とにらめっこをしつつ、溜息を吐く。
こうしている間にも、時間はどんどん過ぎて行ってしまう。
本当は昨日買いに行ったのに、店頭で多すぎるチョコの種類に迷って、結局買えずに帰ってきてしまった。
それからこうして調べ物をしているけれど、どうもこれと決められるものが見つからない。

「チョコの種類自体にもメッセージ性があるみたいですし、下手したら誤解を……でも誤解されたら、そこで色々あったり……うーんうーん……」
「あれ、委員長。調べ物ですか?」
「わわっ!! あ、こんにちは! そうです調べ物です!」

唐突に話しかけられ、思わず声が裏返ってしまった。
振り返れば、副委員長の少女が、心配そうな顔でこちらを覗きこんでいた
その視線に気づき、読んでいた本を隠そうと思ったけれど、既に遅かったようで……

「『洋菓子の時間・バレンタイン特集』……ははぁ、なるほど」
「えと、そのですね……」
「大丈夫ですよ、麻衣乃さん。言いふらしたりはしませんから」
「あっ、ありがとうございます! 内緒ですからね!」
「もちろん、興味は持っちゃいますけど。こんなに悩んでるってことは、やっぱり……」
「あ、あはははは……ノーコメントです」

こんなに資料を引っ張り出して悩むくらいに、真剣なチョコの存在。
要するに……本命。
まるで他人に肌を見られたみたいに、顔がかぁっと熱くなってしまう。

「でも、明日ですよ? 相手がいるのに、まだ用意してないんですか?」
「はい……物を決めたら、放課後に急いで買いに行こうと思ってるんですけど……」
「なら、ちょうどよかったですね」
「え?」

彼女はにっこりと笑いつつ、携帯の操作を始める。
そして彼女が私に見せてきた画面には、友人とのメールのやり取りがあった。

「今日これから、料理クラブの友達と一緒に、調理室に集まるんですよ」
「調理室って、何か作るんですか?」
「もちろん、決まってるじゃないですか。チョコレートのお菓子です」
「あ……つまり、それって……」
「大体はみんなで食べちゃうつもりなんですけど、暗黙の了解で、プレゼント用のお菓子を作ってもいいってことになってます!」

Vサインまで決めて、彼女は宣言した。
その意を悟り、私の心に光が射す。

「それ、私が行ってもいいんですか?」
「もちろんです! 年頃の乙女であれば大歓迎!」
「あ、でも……素人がお菓子なんて作るより、買った方が喜ばれるんじゃ……」
「大丈夫ですよ、気持ちがこもってればそれで十分です。それに、みんなも助けてくれますよ」

手作りのお菓子で、気持ちを伝える。
今まで引っ込み思案だった私にとっては、初めてのチャレンジ。
応えてもらえなくてもいい、受け取ってくれるだけでも充分嬉しい。

「じゃあ……私もがんばってみます。よろしくお願いしますねっ!」



「これで、よしと……ふう、肩こっちゃった」

学園内の、休憩室の隅。
チョコのラッピングを済ませ、わたしはゆっくりと背伸びをする。
クラスの友達にあげる分の義理チョコだけれど、こうして飾り立てればそれなりに見栄えが良くなる。
それから……

「歩武くんには、ちゃんとしたのをあげないとね」

他のチョコとは別に用意した、少し高めのチョコレート。
今のわたしが形にできる、精一杯のこと。
或いは、わがままなわたしの自己満足かもしれないけど……

「灯、ここにいたのか!」
「え、お兄ちゃん? ちょっと、ここ女子寮だよ!」
「灯が授業終わった後すぐに帰ったって聞いたから、心配になったんだ! 具合でも悪くしたのか!?」

物思いに割り込むようにいきなり話しかけてきたのは、お兄ちゃん……多分、緋ノ宮FCの人が連れてきたんだろう。
少し呆れつつ、目の前の箱をお兄ちゃんに示す。
……特別な方は、さりげなく隠しながら。

「心配しなくても大丈夫だよ。ほら、チョコを用意してただけだから」
「なんだ、びっくりした……そうか、バレンタインだもんな……って、バレンタイン!?」
「な、なんでまた怒鳴るの!?」
「お、おおお想い人にチョコを贈る日だろう!? と、灯っ! 誰だ! 兄に紹介しろ!!」
「本命じゃないから! 友達にあげるだけだから!!」
「そ、そうか……うんうん、灯は友達想いの優しい子だからな……」

脂汗を拭いつつ、深呼吸をするお兄ちゃん。
毎年繰り返しているやり取りなのに、懲りずにここまで騒げるんだから、本当にすごい人だ。

「でも、気をつけろよ。勘違いした男がストーカー行為を始めるかもしれないからな」
「もう、大げさなんだから。じゃあ、はい。お兄ちゃんの分」

確保しておいた義理チョコの箱からチョコをひとつ取り出し、手渡す。
お兄ちゃんはそれを受け取り、目を丸くしていた。

「え? いいのか、こんなに早く貰って」
「どうせ明日はFCの人も忙しくなっちゃうだろうし、それなら今の内に渡しちゃった方がいいでしょ? ちゃんと味わって食べてほしいしね」
「灯……本当に、気配りの利くいい娘になってっ……」
「ちょっとお兄ちゃん? どうして泣くの、大げさだよっ!」
「俺っ……灯の兄でよかったっ……本当にっ……!」

義理チョコに本気で涙するお兄ちゃん。
面倒だから先渡ししただけなんだけどね……



巫女委員会特別棟、学園内神社。
授業が終わった後、学園外に出かけていた私は、陽が暮れる頃になって戻ってきた。
済ませた用事は、買い物。
学園内の売店で買うには、さすがに抵抗のあるものだった。

「ただいま……」
「あ、おかえりなさい姉さん。どこに行ってたんですか?」
「ちょっと駅前まで、急ぎの買い物にね」
「急ぎの買い物?」
「べ、別に変なものじゃないわよ。月夜は気にしなくていいの」

覗きこむ月夜の視線を遮るように、買ってきた袋をさっと懐に隠す。
店頭で迷っていたせいで思ったより時間がかかってしまったが、なんとか手に入れることができた。

「……とりあえず2000円のにしたけど……多分十分よね」

買った商品を確かめ、小さく呟く。
そうして自室に戻ろうとしたところで、周囲に漂う甘い匂いに気付く。

「……? 月夜、何してるの? 台所に立つなんて珍しいし、それにこの匂いは……」
「チョコレートです」
「チョコ?」
「はい。朱島さんに、手作りのチョコレートを贈ろうかと思っています。チョコレート味の大福ですけれど」
「は、はぁっ!?」

思わず、間抜けな声を上げてしまう。
だが月夜が目の前に並べているものは、確かにその言葉が真実であると物語っていた。

「ちょっと月夜、本気で言っているの?」
「はい? 何か、いけない表現でもありましたか?」
「いや、だって……朱島って、朱島歩武でしょう? どうしてあなたが、あんな奴にチョコを……」
「明日はバレンタインでしょう。せっかくだから、感謝の気持ちを形にして伝えたいんです。巫女の装いとは、不釣り合いかもしれませんけどね」
「気持ちって……」

懐の包みに、何気なく触れてしまう。
店頭で散々迷った時間は、無駄ではないと信じたい。
でも月夜が当然のようにしていることを、私は思いつきすらしなかった。
月夜はこんなに手間をかけて、気持ちを贈り物に込めようとしている。
じゃあ私が伝えるのは、2000円分の気持ち……?

「……って、気持ちって何よ! 馬鹿々々しい!! そんなものないに決まってるでしょ!!!」
「ね、姉さん? どうかしましたか?」
「はっ! な、なんでもないわ! いいのよ、どうせあいつには2000円札1枚の価値しかないの!」
「姉さん……がんばってくださいね」



「……本当に、憂鬱ですわ」

どうして私が、こんな気分を味わわねばならないのか、腹立たしく思えるほどに。
卓上カレンダーを眺める。
結局カタログを取り寄せてから、半月以上を無駄に過ごしていた。

「な、那由他様……」
「何ですの? 何か用事が?」

青髪の少年を先頭に数人の部下が、おずおずと話しかけてくる。
少し不機嫌に視線を向けると、彼は悶えるように一瞬身を震わせた。

「えっと、世の中はそろそろあの季節であるわけですが……」
「……そうですわね。それが何か?」
「一応の定則に従った場合、やはり我々も……」
「つまり、わたくしがあなた達にチョコレートを?」
「あ、そ、その……はい、もしも迷惑でなければ、我々にも……」
「ふざけたことを! あなた達には過ぎたものですわ! おとなしくこの固形コンソメでもしゃぶっていなさい!」
「あぁっ、実に容赦ない振舞い! やはり那由他様は最高です!!」

投げつけた固形コンソメを拾い集め、涙を流しながら去っていく一団。
私は深い溜息を吐き出しつつ、何度もめくったカタログに再び視線を落とす。
まるで悪の怪人のように力強い名前の、高級チョコレートメーカーの商品目録。
しかしそのどれもが、何故だか色褪せて見えてしまう。
原因は分かっている……通販の注文をしようとした矢先に耳にした、級友同士の雑談。

『やっぱ本命は、手作りよね! 学園の定番だし!』

手作りチョコレート。
どうやらそれは、どんなに高級なチョコよりも価値があるものらしい。
そんなものがあるとすれば、このカタログの商品はどれも、2番手以下ということになってしまう。
妥協は、したくない……そんなことは、私のプライドが許さない。
しかし、手作りチョコレートを作るのに必要なものが、今の私にはあまりにも足りないのだ。

「さすがに、カカオ豆の精製なんて知識は持っていませんわ……学園で誰にもばれずにできるとは思えませんし」

自力でチョコレートを『作る』なんて、今まで考えたこともなかった。
手作りチョコについて語っていた彼女が、どうやってそれをこなすのか、想像もつかない。
かといって、周囲の皆に聞くのも気が引ける……

「仕方ありませんわ……何とか口止めしつつ、睦越に聞くしかありませんわね」

神楽那由他の名に恥じないチョコを、用意する為に。
私は意を決し、階下の購買部へと向かうのだった……



「むしゃむしゃむしゃ……ふむ、これはリキュールの風味が芳しい……」
「おい馬鹿御木津。いつまでチョコをかじっているんだ」
「とりあえず、全部味わうまで。まだまだバレンタインは始まったばかり……」
「バレンタインは明日だろう。それに、なぜ貴様がチョコを食べているんだ」
「いわゆる自分チョコ。本当は明日にとっておこうと思ったけど、我慢できなくて」
「だったらせめて自室に帰れ。甘ったるいチョコ臭が部屋に染み付くだろうが」
「部長は、チョコが嫌い?」
「……甘いものは苦手だ」
「じゃあ、昨日そこの棚にしまっていたラッピングの箱は一体何?」
「なっ! 何故それを知っている! まさか開けて食ったんじゃないだろうな!!」
「……失礼すぎる。私はちゃんと空気が読めるキャラ。多分歩武に渡す本命チョコなんだろうと思って、そっとしておいた」
「普段の仕事の分を労ってやろうと思っただけだ……勝手に本命扱いにするんじゃない」
「でも、ロンリー部長に義理チョコや友チョコをあげる相手がいるわけないし」
「口の減らない奴だな……そのチョコ臭い口に99%をねじ込むぞ」
「私ばかりやり玉にあげるのはよくない。チョコ臭の苦情なら、そこでカセットコンロを使ってる弓那にも言うべき」
「ふふっふ〜〜〜、ふふっふ〜〜〜♪」
「全く、どいつもこいつも勝手に部室を占領して……」
「ん〜、いい感じにいい匂いが漂ってきたわ!」
「おい弓那、その作業はいつまで続くんだ」
「あぁ、そんなにかからないわ。後はバニラエッセンスを入れて、冷やすだけだから」
「それならいいが。準備で大騒ぎしていたわりには、シンプルだな」
「だって、あたしが気合い入れたら大変なことになるって、灯が何度も言うんだもん。だったら、シンプルなのにしようって思ってね」
「シンプルに、手作りを?」
「うん。とりあえず板チョコを湯煎で溶かして、型で固めればいいかなって」
「どれどれ…………って、待て弓那」
「なーに? 先に味見する?」
「湯煎なら、器がふたつないと意味ないだろうが。チョコを茹でてどうする」
「…………え?」


夜、俺の自室。
時計は深夜の時刻を指していた。

「ふあぁ……今日も一日お疲れさま、俺」

大きく欠伸をしつつ、ベッドに身を沈める。
適当に授業を受けて、適当にみんなと話して、過ぎていった日。
弓那が『今日は部室に来なくていい』とか言いだして、少し驚いたけれど、それ以外はおおむね平和な日常だった。
そして明日も、きっと……

「……明日って、何の日だっけ」

ふと心によぎる、予感。
携帯を手繰り寄せ、カレンダーを確認する。
何か、特別な行事の日だった気もする。でも、思い出せない。

「…………ま、いっか」

面倒なので思考を放棄し、携帯を枕元に無造作に置く。
祝日になっているわけでもないんだから、多分大したことじゃないんだろう。
覚えてないってことは、今までずっと親父の修行生活に押し込められていた俺にとっては、一切無縁なんだろうし。

「明日もまったり過ごせますように、と……」

祈るように呟き、目を閉じた。
きっと明日も、波乱もなく過ごせるはずだから……

(C) WillPlus/ETERNAL All rights reserved